第八話:五年前
四月一七日、午前一〇時。
「まだ起きませんねぇ?」
床に倒れたままの誠をマジョ子は、眉を寄せて見下ろす。爪先で小突き、頬を叩いてもまったくピクリともしない。かれこれもう、二時間は眠っている。
「しかし、こんなにあっさりと催眠術が掛かったのは初めてですよ?」
「そうだな・・・・・・オレも初めて見た。五円玉で催眠術が掛かった奴」
巳堂も腕を組んで何度も頷いていた。しかし、すぐに真顔になってマジョ子に視線を移す。
「で、どうなんだ? マコっちゃんの内にいる悪魔は?」
人好きする笑みが消えた。あるのは戦場に赴く戦士の顔。
「《七つの大罪》の内一つで間違いありません」
マジョ子も鋭利に目を細め、誠を見下ろす。
「占星術のデーターでも、《七つの大罪》によるもの・・・・・・偶然にしては出来すぎですよね?」
「まぁな」
「幾ら、黙示録すら再誕する鬼門街でもここまで偶然だったら笑えませんよ?」
「解っている」
巳堂の声は硬かった。
原罪とも呼べる大罪達。その罪を力として暗躍した者の顔が、脳裏に浮かぶ。
一生を賭けて愛する人の笑顔と、一生分の怒りの比重すら値しない仇敵の嘲笑が脳裡に疾走した。
現実主義者なのにロマンチックだった恋人。その恋人と自分の家族を踏み躙った吸血鬼を思い出すだけで、声音は硬い。収めている憎悪が、注意深く抑えなければすぐさま吐露しそうになる。
「傲慢のルシフェル、嫉妬のレヴァイアサン、暴食のベルセブブ、肉欲のアスモデウス、怠惰のベルフェゴール、貪欲のマモン、憤怒のサタン・・・・・・か。吐き気が出るぜ」
「どいつもこいつも、一癖も二癖もありそうですね」
巳堂霊児が何を思うのかを、察することが出来るマジョ子は努めて軽い口調で言う。それにも気付かず巳堂はギリギリと歯軋りを響かせた。
目は何処か、遠くを睨んでいた。マジョ子も見ずに――――もう、そこにはいない仇を睨むような凄惨な瞳。誰も見たことも無い修羅の眼光だった。温和という鞘から抜き出た巳堂霊児は、溜息とともに吐き棄てる。
「五年前・・・・・・あの吸血鬼が武装した魂をまた聞く羽目になるとはな」
「・・・・・・」
「しかし、何かが引っ掛かるのも事実だ。こうまで関連するのかが謎だ」
「と、いうと?」
「この《七つの大罪》と《鬼門街》の魔力をもって、大魔術を行使し世界制服を企んだ第一世代の吸血鬼がいた」
今時のガキでも世界制服なんて夢すら見ねえよと、小声で付け足す。
「その吸血鬼を倒した関係者は全員で四人。オレを含めて生きているのは三人だけだ。一人はオレの力及ばずに死なせてしまった」
最後の方だけやけに平坦だった。後悔の念と情の深さが灯る眼差しだった。
マジョ子は歯軋りするが、拝聴の姿勢と沈黙を厳粛に守る。
「最小だが最精鋭で固めたチーム。この鬼門街に潜伏した『第一世代』を狩る任務についたのは巻士令雄、九鬼切恵、イピリア・ボーグナイブス。そしてオレだ。当時、このメンバーで潜伏する吸血鬼と暗闘を繰り返していた」
第一世代の吸血鬼。
通称、源祖や真祖とも呼ばれる吸血鬼の根源。人間を止めた生物の筆頭。〈連盟〉が行き着いた一つの結果でもある最終型。だが、それは己の寿命を伸ばすことや生き汚い意味となるため、誰もが求める訳ではない。
不老不死とは腐った性根を元に、知識を求める魔術師がとる手段の一つと、マジョ子は考えている。
「吸血鬼だからといって、無敵と言う訳でもない。吸血鬼の弱点が伝説に残るように多数ある。源祖はその中でも一番弱点が多い。けど、洒落にならない魔力がある。それに弱点なんて時間をかけて直せばいい。免疫を作るって言うのが早いな。それを身に付けるのは時間が掛かるから、大抵の第一世代吸血鬼は表舞台に現れない。オレ達が狩り殺した吸血鬼は、表舞台に早く上がることを望み、魔術行使で自分の弱点全てを補う方法を選んだ。他の源祖は聖堂を怖れていたというのに、こいつだけ無駄にハッちゃけやがった」
それが七つの魂。七つの大罪に宿る魔王の力。
巳堂霊児の横顔をマジョ子は見詰める。肩を竦めて軽く言うが、その吸血鬼が表舞台に上がった最初の犠牲者は、巳堂霊児の両親と四歳離れた双子の弟妹。肉親を奪われた彼の怒りをマジョ子は察した。労わる気持ちが本当だからこそ言葉にしない。言葉にすれば安っぽい同情に代わる。そんな言葉など、霊児が一番望まない。
部活の外から、喧騒が小さく響くだけの沈黙。その沈黙を溶かしたのは床で転がった誠の寝返りだった。
誠の幸せそうな寝顔を見て、巳堂が肩を竦めて言う。
「そろそろマコっちゃんを起こさないか?」
「そうですね」
気分を切り替えている霊児を見て、マジョ子も気持ちに折り合いをつけて頷き、徐に寝転がっている誠の腹を思いっきり蹴った。
暗い空気を変える為、生贄を求める魔女の行動だった。
「ゲボッ!」
「あっ、こいつ。腹筋をかなり鍛えていやがりますね。全体的に引き締まっているようです」
蹴りを入れ続ける乱暴この上ないマジョ子。
霊児は困った顔で溜息を吐き、止めようと口を開こうとした時には、両目を開き、腹筋の力だけで勢いよく立ち上がった。
「何しますか!」
マジョ子は見上げて感心するように口笛を吹き、ニヤリと笑った。かなり邪悪である。
「アタシのブーツの爪先って、鉄を仕込んでいるのによくすぐに起き上がれるな?」
「何でそんなブーツ持ってんですか! それで蹴りっスか! サッカーボールキックっスか!」
「男がピイピイ喚くな」
マジョ子と誠の話し合いを眺めながら、巳堂霊児はもう一度苦笑する。
何か二人とも今日が初対面なのに、かなり馬があっていた。
アクの強いキャラクターで、湿った空気を払拭された後にしみじみと呟いた。
「まぁーシリアスな雰囲気は苦手だからな」
四月一七日、午前一一時。
「うまいねぇ。やっぱり『パフェは銀丞、ケーキはキサラギ』ってのが、黄紋町の甘党たちによる合言葉だよ」
満面の笑みでパフェを頬張る友達のアキラは、出来るだけ窓の風景を見ないように、もう一口食べる。咀嚼と共に現実も嚥下しようと無駄な努力をする。
ここはカフェ銀丞という名の店。道路沿いにあり、丁度駅を利用する黄翔高校の学生の通学路に位置する。
私もアキラも駅を利用する機会が少なく、通学路とは逆方向。しかし、甘党のアキラにとってそれでもなお足を向けさせる魅力を持つ。
和風の店名だが、内装は洋風。明治中期から続いている伝統のお店だ。
十年前にガートスがこの街をモデル都市へと変貌させようと、真向かいにあったライバル店がコンビニになろうと、この店はそのまま。値段も優しいパフェに、美味い紅茶を出してくれる店でかなりのリピーターが多い。私の友人であるアキラは、この店の大ファンである。その彼女が銀丞の大盛りパフェを頬張りながらも、チラチラと窓の外を見ながら私に小声で囁く。
「今度は何をやらかした・・・・・・・・・でも・・・・・・・・・この五年前とは違って、警察が相手じゃないから堂々と呼べるわよ美殊?」
「まるで私が全て悪いみたいね」
溜息を吐いて紅茶を一口呑みつつ、私も窓の外へと視線を向ける。
窓の外には昨日よりも大人数の不良達が屯していた。ご丁寧に凶器としてバタフライナイフやら、鉄パイプやらを片手に持つ眼の血走った連中。それも全員が私へ視線を向けている時点で、昨日のお礼参りに来たのだろう。背中に黒い霧となった悪魔が憑いているのも目障りだった。
このような事態になればすぐに警察を呼びそうなのだが我関せずと、寡黙にグラスを磨く老人。ボケているのか、目の前の不良など眼中に無い。仕事の手を休めないことに私は驚きつつも、視線をアキラに戻す。
きっとアキラが携帯電話で、警察に電話でもしようなら、何が起こるかわからない。最悪、アキラを巻き込んでしまう。
「仕方無い」
私は席を立ち、メモ用紙の切り端に携帯電話の番号を書き込み、領収書を取って言う。
「アキラは私が店に出て行った後、マジョ子さんに連絡をして」
「警察じゃないの?」
聞き返してくるアキラに私はにっこりと微笑んだ。微笑んだというのに、アキラは身を強張らせてビックと震えた。失礼な。
「・・・・・・・・・警察じゃ意味がないわ」
悪戯に犠牲者が増えるだけだ。犠牲者は、ここにたむろしている不良だけに収めるのが基本。
私はそのままレジで支払おうと財布を開けてから、唸ってしまう。
やはりパフェを奢るのは今月で一番痛いが、仕方がない。寡黙なマスターに九二五円ちょうど支払う。
まずいな・・・・・・・・・誠のためにも、今夜こそ好物であるビーフシチューを作っておきたかったのに・・・・・・・・・タイミングの悪いこの連中が悪い。頭の中で素早くプランを立てる。楽しい一時をぶち壊してくれたこの首謀者から、不良達の顔をどうのような苦痛で歪ませてやろうかと、思案をめぐらせながら店の戸口についたベルを響かせて外へと出た。
すぐさま私を遠巻きに囲む。下卑と下劣を足して二乗した連中が、薄笑いと笑声を耳障りに響かせる。
「早く終わらせたいから、さっさと用件を言って」
「付いて来い。それだけだ」
目の前に現れた男に一瞬、私はぎょっとした。
「またあったな?」
そう、昨日の大柄な魔術師である。誠の一撃を喰らっていながらまた私の目の前に現れた。額と頬にガーゼが当てられ、顔も一回り腫れてはいるが、そんな傷で済まされる一撃ではなかった。
「なにを驚いている? 治癒魔術位は嗜んでいる」
魔術師の薄笑いとともに言ったセリフに、私もその種の笑みで返す。
「そう……なら、何十回もあなただけは、痛め付けても大丈夫って訳ね?」
誠を傷付けた男だ。やはり私自身の手で徹底的に叩き潰さなければ気がすまない。
「クソアマ……減らず口を叩けるのも今の内だ」
眉間に皺を刻み、背を向ける。それに続いて遠巻きにしていた不良連中も歩き始め、私は流れのまま歩を進める形になる。
人気のない廃ビルに繋がる路地裏まで移動していく。この場所なら結界は防音程度で充分ことが足りるだろう。だんだんと背後に付いている不良達の呼吸が荒くなってきて、とても気持ちが悪い。
「ひひゃひゃひゃ!」
狂声をあげて私の背後から羽交い絞めにした不良。だが、コンマすら満たない刹那の中で、私の魔術は発動しポケットの中にある札が雷を迸らせ、一人の騎士が何もない私の頭上から現顕する――――私の雷で構成され、私の忠実なる騎士が座した剣から飛び降り、柄を手にとって不良の背後から斬りつける。
稲妻の弧は血飛沫すら残さず、電撃の熱量で白煙を上げる切り口。
切ると焼くとの同時の苦痛に、羽交い絞めしてきた不良は地面に倒れ、汚水の水溜りの上でのた打ち回る。豚の喚き声よりも耳障りだ。その思念が届いたのか、騎士は素早く爪先を腹部に叩き込み、速やかな気絶を提供していた。
「三下の躾がなっていないわね」
「そうか? よく人目のつかない所までもったと言うべきだ」
前を歩いていた魔術師は振り返り、薄笑いを浮かべながら私を見下ろし、私の傍らに立つ放電する積層甲冑を纏う騎士へ視線を移す。一瞥して鼻で笑いつつ言葉を紡ぐ。
「車両で見たタイプとは違うな?」
帝釈天の剣は細身の片手剣。それに比べて私が符術で現顕したこの騎士の持つ剣は、両手剣。
「なるほど。昨日は奥の手を封じた状態だったか」
納得と頷く魔術師に、私は失笑を禁じえなかった。大柄の魔術師と同じ目線である騎士は、命令を寡黙に待つ。剣先を地に付け柄頭を握っていた。何時でもこの思い違いをしている輩を叩き潰せると、雰囲気で語っていた。
この愚か者達に、私は真神の退魔師の口上を言う。
今時流行らないのような気もするのだが、言わなければ長らく真神家にいる相棒は調子が出ない。私もこの口上が好きだったりする。
「我らは神を降ろし、調伏する者――――」
私の口上に反応して剣を持ち直し、剣の柄を額に当てる騎士――――ポケットに手を入れて符札を広げる。六体の帝釈天が剣舞し、私を守るように囲む。
「故に、我は真の魔神なり」
「・・・・・・・・・」
決まった――――会心の笑みを隠しながら辺りを見渡すと、呆然とする魔術師と不良達。
シーンと静かになる裏路地からカラスの鳴き声が響いてきた。
「それって・・・・・・」
大柄の魔術師は頭を掻きながら、私を見下ろす。敵なのに同情的な目で。
「恥ずかしくないか?」
頬が熱くなるのが良く、解る。今時でもないことくらい、私にだって解る。だが、魔術師はその言葉が遺言となる。この場にいる全ての人間が地ベタに這わすことを決意する。
「建御雷神!」
稲妻の騎士は一直線に大柄な魔術師に踊りかかり、帝釈天も一気に不良達へ踊りかかる。
思っていることをすぐに口にするのは、時と場合によるものだと私は思う。それで人は傷付く事もあるのだから。